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「日本人が海を渡ってホノルルマラソンへ(2)」完走者全員が勝利者

2021年5月21日

初のホノルルマラソン直後に発売された3月号。ホノルル特集のタイトルは「完走者こそ勝利者だ」

初のホノルルマラソン直後に発売された3月号。ホノルル特集のタイトルは「完走者こそ勝利者だ」


ランナーズ創刊編集長の下条由紀子が1980年代「ホノルルマラソン誕生秘話」を綴ります(日本人がホノルルマラソンを走るようになったのは弊社=旧株式会社ランナーズがツアーを組むようになってからです)。

ホノルルマラソンに私たちが強く引き付けられた(賛同した)のは、「完走者全員が勝利者」というスローガン(思想に近いと思いました)とそれにふさわしいゴールでの出迎えでした。制限時間というものはなく、ゴールする(あるいはめざす)、すべてのランナーは等しく、美しい門構えで飾られたフィニッシュ地点(それはゴールへの直線道に入ると遠望され、それまでの疲れも忘れてしまうほど)、またそのラスト50mの道の両側は応援の観客で埋まっており、すべてのフィニッシャーは拍手で迎えられて栄光のゴール地点に飛び込むのでした。そこではまた、ハワイの木の実で作られた完走賞のレイを首にかけてくれる美しいフラガールに迎えられるのです。そんな粋な演出はもちろんフルマラソン完走の喜びを倍加させてくれるものでした。
いわゆる当時の競技マラソンにはない、優しく華やかなフィニッシュの演出ですが、それはホノルルマラソン開始の成り立ちにあったのだと思います。

ホノルルマラソンはハワイ(オアフ島、ホノルル市のある島)の医師の皆さんが提唱して始められたものですが、当時、当地(だけではありません、アメリカの主要都市でも)で、特にエリートといわれる人々に肥満などから心臓病を患う人が増えていました。それらの肥満解消と心臓病の予防には(太りすぎを防ぐためにも)、運動療法が効果的というデータも出てきていたいうことで、ハワイでは心臓病専門の医師、ドクター・スキャフ氏が指導してカピオラニ公園などでジョギングがさかんに行われるようになったようです。そしてそのジョギング(練習)の「集大成」を示すイベントということで1971年、第1回ホノルルマラソンが開催されたということです。我々が初めて訪れた1975年には、レース中、ランニングシャツにハート型のイラストが描かれ、それにノーの印(アタック)がつけられたランナーを見かけたものですが、それが心臓病を克服したランナーだったということでした。

なお、マラソン2日前に行われた主催者パーティーでは、ビールが出ていましたがタバコを吸う人が全くいなかったのが新鮮でしたが不思議に感じたのも事実です。(1976年)当時の日本ではスポーツ関係者のパーティーはもちろん、ランニング大会の現場でもたばこを吸っている人がかなりいましたから。


プロフィール

自己ベストを出した1987年ウイーンマラソン
自己ベストを出した1987年ウイーンマラソン

下条由紀子(しもじょう・ゆきこ)
株式会社アールビーズ取締役副社長、月刊ランナーズ編集局長。
フルマラソンは完走150回、自己ベスト3時間02分31秒(1987年オーストリア・ウイーン)。
ランナーズ創刊後の1976年12月に第4回ホノルルマラソンを出走、翌年からランナーズホノルルマラソンツアーを開始。1979年の第1回東京国際女子マラソンの参加者告知に関わり、自身も同大会に出場。著書に『ベストジョギング―走る楽しさ生きる歓び (新潮文庫) 』。
※今後のコラムで「ホノルルマラソン」「東京国際女子マラソン」を取り上げます。






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