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「日本人が海を渡ってホノルルマラソンへ(3)」ダイヤモンドヘッドの上りで、海から太陽が上がってくる

2021年5月27日


ランナーズ創刊編集長の下条由紀子が1980年代「ホノルルマラソン誕生秘話」を綴ります(日本人がホノルルマラソンを走るようになったのは弊社=旧株式会社ランナーズがツアーを組むようになってからです)。

マラソン当日は、スタートはまだ暗い午前5時(最初は6時だった)です。
常夏の島とはいえ、12月の日の出前はレース用シャツパンツの上に上着が必要でした。会場には日本ではよくあるテントなどは全くなく、もちろん更衣室もありません。
レース後の着替えはゴール地点にあるツアーテントで前日預けておくしかありませんでした。現地の方はゴール地点に家族が迎えに来ていたりなどしていましたが、ゴール後、そのままの恰好でホテルに向かう人も見受けられました。
そしてスタート地点にあるのは公園の水道だけ。それでも仲間やチームでワクワクドキドキしながらスタートを待つのは愉しかったです。(スタートの前のほうに陣どったランナーたちがスタートまでの時間、座り込んでいたのにはビックリしましたが)
そう、(マラソン前の)ウォーミングアップをするのは、特別のコーナーで待機する招待選手(もちろん速い人)だけでした。

スタート前の開会式では、アメリカ国歌をテノール歌手が歌い始めると皆、起立して神妙に聞き入りました。そして。真っ暗な空にスタートの号砲と同時に多くの花火が打ち上げられたのですが、これから始まる42km(の旅?)を祝福、応援してくれるようで、ぞくぞくする嬉しさを感じたものでした。暗闇の中、街灯や沿道のお店の明かりなどをたよりに、それでも大集団で進んでいくわけですから、怖かったり、迷ったりすることは皆無でした(ホノルルマラソンはスタート地点とコースは当時と現在とは多少変わっていますが、フィニッシュ地点であるカピオラニ公園は今も昔も全く同じです)。

この時期の日の出は7時頃、ホノルルマラソンではカピオラニ公園の横を通り過ぎて、ダイヤモンドヘッドの上りにかかったころ、前方右手の海から太陽が上がってくるのがキロ6~7分で走っているランナーには見えるのです。その後に暑くなるのはわかっていましたが、この日の出に出会えるのも、なんとも嬉しかったです。

その後、しばらくするとフリーウエィ(自動車専用道)に入り、約7km、小さな湖(というより大きな池)の周りを一回りして折り返しに向かいます。


プロフィール

自己ベストを出した1987年ウイーンマラソン
自己ベストを出した1987年ウイーンマラソン

下条由紀子(しもじょう・ゆきこ)
株式会社アールビーズ取締役副社長、月刊ランナーズ編集局長。
フルマラソンは完走150回、自己ベスト3時間02分31秒(1987年オーストリア・ウイーン)。
ランナーズ創刊後の1976年12月に第4回ホノルルマラソンを出走、翌年からランナーズホノルルマラソンツアーを開始。1979年の第1回東京国際女子マラソンの参加者告知に関わり、自身も同大会に出場。著書に『ベストジョギング―走る楽しさ生きる歓び (新潮文庫) 』。
※今後のコラムで「ホノルルマラソン」「東京国際女子マラソン」を取り上げます。






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