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MEMBER COLUMN「ランナーズ創刊物語(2)」1975年の新婚旅行、アメリカで見た「ジョガーの姿」
雑誌「ランナーズ」の創刊を思い立ったのは、皇居を走りながら「自分にはどんなシューズが合うのだろう」と思ったり、「青梅マラソンのようなレースは他にもあるのかもしれないのに、どこで調べたらよいかわからない」などを走友と語り合ったりしたことがきっかけでした。走る人が欲しい情報誌があればいいなと。
夫になる橋本治朗との出会いもこの頃です。彼は大学時代から写真を撮って(カメラ部)稼いでおり、卒業後はフリーのカメラマンとして、当時は日本の古い家並み「歴史の街並み」や自身が興味を持った社会事象をテーマにして写真を撮り、グラフ誌や文藝春秋などに持ち込んでいました(私の皇居での走る写真も掲載されました)。そしてこのころから同年のヨシミもあったのか、急速に親しくなり、結婚への道を歩むようになります。いわば「同業者」に近い関係でしたので、私が走る雑誌を出したいと言い出した時、真っ先に賛成したのも彼でした。
1974年11月に結婚、翌年4月に新婚旅行を兼ねて、ニューヨーク、ボストン、ホノルルとアメリカの主要都市を訪ね、どこでも公園などで朝夕走るたくさんのジョガーたちに会ったことが雑誌創刊の後押しになり、帰国後早速に準備に入りました。
走る雑誌を作ること自体に不安はなかったのですが、若い二人には貯金もなく、どのように資金を調達するか、が課題でした。そんな時、新聞で6月に山中湖で「世界ベテランズ日本大会」が行われる記事をみつけました。日本タートル協会が主催となって、諸外国からやってきた40歳以上の中高年ランナーのロードレース大会が開かれるというものでした。ここに創刊する雑誌の読者がいる!! 橋本と二人で当日取材に出かけました。同時にこの大会の日本人参加者の住所氏名を頂くことができ、全国各地にまずは「往復はがき」で、ランニング雑誌創刊の意図と、それに対する意見を伺いたい旨を書き郵送しました。返送されたはがきに書かれていたのは、雑誌創刊待ってます!出たら買います!!
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創刊号の特集は「エピソードでつづる私とランニング」 |
プロフィール
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自己ベストを出した1987年ウイーンマラソン |
下条由紀子(しもじょう・ゆきこ)
株式会社アールビーズ取締役副社長、月刊ランナーズ編集局長。
フルマラソンは完走150回、自己ベスト3時間02分31秒(1987年オーストリア・ウイーン)。
ランナーズ創刊後の1976年12月に第4回ホノルルマラソンを出走、翌年からランナーズホノルルマラソンツアーを開始。1979年の第1回東京国際女子マラソンの参加者告知に関わり、自身も同大会に出場。著書に『ベストジョギング―走る楽しさ生きる歓び (新潮文庫) 』。
※今後のコラムで「ホノルルマラソン」「東京国際女子マラソン」を取り上げます。