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「ランナーズ創刊物語(1)」1970年代、報知新聞が報じた「OLが青梅30kmを走る」

2021年1月21日
創刊号は280円、32ページ、表紙は「ご夫婦と子どものランニング風景」だった
創刊号は280円、32ページ、表紙は
「ご夫婦と子どものランニング風景」
だった

1976年2月に創刊した「月刊ランナーズ」。当時の価格は280円(現在は定価780円)、青梅マラソンで「手売り」したことが始まりでした。創刊編集長の下条由紀子が「ランナーズ創刊物語」を綴ります。

私が走り始めたのは皇居の半蔵門の近くにあった広告代理店に勤務していた、25歳の時、1972年からです。社内で誰かが「皇居を走ろう」と呼びかけ、なぜかふと、その誘いに乗ったのです。学生時代、テニスはやっていたものの、陸上競技には全く興味がなかったのに「走ってみよう」と思ったのは、やはりなんとなく運動不足気味を感じていたことがあり、同時に仕事(クレジットカード会社の発行するPR誌の編集)にも少々飽きていたのかもしれません。金曜日の退社後に皇居1周を仲間と走ることになった時、実家の近くの公園で1~2回朝練したことを(これを書いている今)思い出しました。

初めての皇居を走るその日、「初心者」の私は、一番最初にスタートし(ハンデ戦ですね)、その後、数人のメンバーの男性たちが、持ちタイムの遅い順から順次スタートするという方法でした。ハンデ通りにいけば、全員が同時にゴールするという(公平さ?)ことでしたが、私は誰にも抜かれず、トップで1周してきました。皇居1周は約5kmですが、その時は多分30分を切るくらいで走ったのだと思います。女性は私一人だったこともあり、第一若かったし(?)男性陣(5~6人だったと思います)におだてられ楽しかった。荷物をロッカーに預けた銭湯でゆっくり汗を流した後、みんなで飲んだビールの美味しかったこと!!

これは「はまりそう」の予感がしました。ただ、皇居1周ランは当初は月1回第3金曜日でした。ただ私はこれに自信を得て(?)当時ウワサで聞いていた「青梅マラソン」に出ることにしました。主催者の報知新聞で日程を確かめ、30kmの部に申し込みましたが、なんと女子の参加は3名のみ。ただ、「OL(オフィスレディーのこと、当時はこの言い方が流行りだった)が青梅30kmを走る」と当の報知新聞が私の通勤風景の大きな写真を載せてくれたせいで、いくつかから反響があり、その一つが総理府(当時)が発行していたPR誌内にあった連載「走れ、走れ」の取材原稿執筆の依頼でした。ちょうど、会社を辞めてフリーライターを志していたときでもあったので、即答で引き受けました。私の長い「ランニング人生」の始まりでした。


プロフィール

自己ベストを出した1987年ウイーンマラソン
自己ベストを出した1987年ウイーンマラソン

下条由紀子(しもじょう・ゆきこ)
株式会社アールビーズ取締役副社長、月刊ランナーズ編集局長。
フルマラソンは完走150回、自己ベスト3時間02分31秒(1987年オーストリア・ウイーン)。
ランナーズ創刊後の1976年12月に第4回ホノルルマラソンを出走、翌年からランナーズホノルルマラソンツアーを開始。1979年の第1回東京国際女子マラソンの参加者告知に関わり、自身も同大会に出場。著書に『ベストジョギング―走る楽しさ生きる歓び (新潮文庫) 』。
※今後のコラムで「ホノルルマラソン」「東京国際女子マラソン」を取り上げます。




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