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ランナーズ賞

2014 RUNNERS AWARD 第27回ランナーズ賞

2014年 第27回ランナーズ賞受賞者

市民ランニングの普及、発展に貢献した人物、団体などを表彰する第27回ランナーズ賞の受賞者を称える授与式が、2014年12月1日(月)セルリ アンタワー東急ホテルにて開催されました。1988年の第1回以来、昨年までで83の個人・団体が受賞。
今回は、阿南重継さん、夜久弘さん、山地啓司さ ん、日本糖尿病協会マラソンチームが「ランナーズ賞」に輝きました。

選考にあたって

紅葉明かりに包まれる中、第27回ランナーズ賞を受賞された皆さん、おめでとうございます。多数の応募の中から最終選考会に残ったのは7人と1団体。推薦文からはその候補者がいかに周りの方々に愛され、元気を与えていらしたかが分かります。今回から選考委員も増え、選考基準の10項目に沿って喧々 諤々の熱い議論の上、決定しました。
阿南重継さんは現在89歳で、まさに健康長寿のお手本です。日本の市民マラソンの草分け的存在の「天 草パールラインマラソン」を第1回から42回連続出場。熊本走ろう会の役員を務めたり、マラソン大会を実施したりと社会貢献活動も活発です。ぜひ50回大会もお元気に走ってください。
山地啓司さんは走る科学者といってもいいでしょう。1989年のランニング学会設立時には中心的役割を果たされ、陸上長距離界の競技力向上に寄与されました。科学の力でランニングを支えてくれた恩人です。あと10年早く学会が出来ていたら、私もメダリストに なっていたかもしれません。
夜久弘さんはペンでランニングの世界を広げてくれた方です。ウルトラマラソンの魅力を夜久さんの著書で知り、その世界に誘われた人も少なくないと思います。ご自身も(フルマラソンはもちろんのこと)100kmマラソンも数多く走り、市民マラソンの広報大使としての長年の活動には心から敬意を表します。
そして日本糖尿病協会マラソンチームは新しい風。「糖尿病患者の生活の質の向上とその支援」という目的は、スポーツが持つ力を生かした素晴らしい取り組みです。生活習慣病の予防と治療に取り組むことが超高齢化社会を迎える日本を救います。高血圧チームや高脂血症チームなど、どんどん増えるといいですね。
今回の選考では、健康長寿にスポットが当たりました。本日、参会の皆さんも日本のために医療費や介護保険財政の削減に貢献していることでしょう。“ランニングが日本を救う”。壮大な目標を掲げて乾杯しましょう。

選考委員会委員長 増田 明美

受賞者

走りで培った健康長寿で社会に恩返し

阿南重継さん(89歳・熊本県阿蘇市)

「今の自分があるのは地域社会のおかげ。出来る限りの恩返しがしたい」
中学を卒業後、農業に従事。牛の繁殖や菜種油をつくって生計を立てた。実直な人柄ゆえに30歳で地域の区長に推挙され、34歳で波野村(現・阿蘇市波野)の村議会議員を務める。38歳で同村の役場に転職すると同時に畑を均し、「より利益をもたらすから」と林業に取り組み、伝え広めた。60歳で定年を迎えてからも、農協をはじめ森林組合の理事、阿蘇市の老人クラブ連合会長などを歴任。現在も、農業や林業を中心として地域活性に尽力し続けている。
走り始めたのは46歳のとき。47歳では村内一周駅伝大会に出場し、学生に混ざって区間3位と敢闘賞を受賞。それから13年、定年までの間、雨風に負けず片道6km、往復12kmの通勤ランが日課となった。
1972年には発足と同時に「熊本走ろう会」に入会し、本格的にマラソン人生をスタートさせる。月1度、約60㎞離れた熊本市内で開催される練習会に参加して仲間に刺激を受けながら、普段は黙々と一人で走り続け、1975年に「波野走ろう会」を設立。1985年からは荻岳マラソン(後に波野高原マラソン)を10年にわたって地元で開催した。
2001年、76歳で出場した阿蘇カルデラスーパーマラソン(50km)では最高齢完走を果たすも、右ひざを故障。しかし、リハビリを兼ねた妻・ミヨ子さんとのウォーキングが「怪我の功名」となる。歩き始めて6年後には42.195kmを揃って8時間で踏破するまでになり、2008年1月、いぶすき菜の花マラソンでは重継さん(83歳)、ミヨ子さん(78歳)でギネス記録に挑戦。夫婦合わせて161歳、最高齢ペアでのフルマラソン完走(7時間36分)を果たし、見事ギネス記録に認定された。
「2013年に116歳で亡くなられた歴代最高齢者・木村次郎右衛門さんを超え、『マラソンのおかげで長生きできました。皆さんもマラソンを楽しんで』と、健康ランニングの素晴らしさを訴えたいですね」

等身大の市民ランナーを「表現」し続けて30年

夜久弘さん(69歳・東京都文京区)

夜久 弘さん(69歳・東京都文京区)

「ウルトラマラソンに挑戦して完走した人は幸せである。完走できなかった人はもっと幸せである。失恋の味を知っている人が真の恋の喜びを知るようにいつか完走したときに至福に包まれるはずだから」(著書『ウルトラマラソン 完走の幸せリタイアの至福』)。
ランナーとしての自身の内面、周囲のランナーとの人間模様を投影し、「市民ランニングは、結果だけでなくプロセスから人生のドラマがあり、楽しみ方の多様性がある」というメッセージを一貫して発信。文章の力で市民ランニングのすそ野を広げた立役者である。
 ヘビースモーカーだったマンガ雑誌編集者時代、健康不安を払しょくするためランニングを開始。39歳の初フルマラソンから13年かけてサブスリー、サロマ湖100kmでは2004年にサロマンブルーを達成し、トップ市民ランナーの取材から富士登山競走や100kmウルトラマラソンを実走レポートするランニングライターとして活躍してきた。
千代田走友会、猛走会、へろへろ、しろくま一族、葛西ランナーズ、こすげ走友会、ノーランズなど、全国各地のランナーとの幅広い交流を通じて「取材は恋愛、文章はラブレターと考えて仕事をしてきたが、取材対象者はみんなランナー。市民ランニングの世界に包まれている幸せな感覚を持ち続けてきたように思います」と語る。2013年6月にはいわて銀河100kmチャレンジマラソン10kmの部に出場、走歴32年目にして初めて親子で同一レースを走った。
今年2月にガンが発覚。闘病生活が続いているが、病気という認識は薄いと話す。
「ガンを克服した人たちの共通点を聞くと、決して諦めず、自分は元気だと思っている。これはウルトラマラソンに挑む気持ちと似ています。コース条件が厳しかったとしても、脚を動かすことを止めなければ必ずゴールに近づいていく。自分は医学データに沿って生きているわけじゃありませんし、今は自分らしくをモットーに、闘病レースを快走中といった毎日です」

ランニング科学を市民ランナーに広めた

山地啓司さん(72歳・埼玉県さいたま市)

山地啓司さん(72歳・埼玉県さいたま市)

「1秒でも速く走るためにはどのようなトレーニングを行ったら良いか? そのための研究を行い、解明した人間の身体の複雑なメカニズムを伝えてきたつもりです」
25歳の時に入学した東京大学大学院で「日本の運動生理学の第一人者」と言われた猪飼道夫教授の指導を仰ぎ、研究を開始。以降、様々な実験を重ね、論文を発表することはもちろん、「マラソンの科学」「ランニング辞典」等、30冊以上の本を執筆。セミナーや講演も行い、最大酸素摂取量、心拍数、高所トレーニング等、現在では市民ランナーにも当たり前のように使われている言葉とその意味を広めてきた。
また、東京大学大学院時代にランニング科学に関する知見を広めるための「中長距離研究会」を立ち上げ、その後進となる「ランニング学会」を1990年に設立。初代学会長を務め、学会誌「ランニング学研究」の発行や「ランニング学会大会」の開催に携わり、研究者や科学的知識を有するコーチ、ランナーの裾野を広げることにも従事した。
「大学院時代に赤門近くの地下で実験をしていたのですが、被験者として来てくれたのが現在も研究者として活躍している、当時は学生だった豊岡示朗氏、田中宏暁氏、有吉正博氏、伊藤静夫氏等、多数。協力してくれた彼らに恩返しをする場を作らなくては、と考えて大学の後輩である山西哲郎氏らと相談して作ったのが中長距離研究会です」
研究を重ねる中で得たモットーは、心と身体の融合。「筋肉など身体の疲労を感知した脳(こころ)が、制御指令を身体に送ることでペースの決定と調節が行われている」という、ここ数年で広まった論も提唱してきた。
「たとえば人と競いながら走っている時は、ひとりで走っている時より速く走れますよね。これには当然、心が関係している。ランニングは心と身体の共同作業です」

ランニングを通じて糖尿病を啓蒙

TDJ(TEAM DIABETES JAPAN:日本糖尿病協会マラソンチーム)

TDJ(TEAM DIABETES JAPAN:日本糖尿病協会マラソンチーム)

「糖尿病だからと言って出来ないことなんてない。NO LIMIT!」をスローガンに、ランニングを通じて自己管理を行い、糖尿病と向き合い生活の質を高める、またその支援を目的として2007年に設立。メンバーは、患者、その家族と医師、医療関係者などのボランティアで構成され、ホノルルマラソン、タートルマラソンなどの大会出場や練習会を中心に活動する。メンバーは揃いのTシャツを着用し、生活慣病予防啓発の走る広告塔も担っている。
 糖尿病の専門医であり1型糖尿病患者でもある代表の南昌江さん(51歳)は、39歳のときにホノルルマラソンを初完走。現在まで月100kmの練習を継続し、年1~2回のフルマラソンに出場している。ホノルルは連続12年完走。
「14歳で発症して以来、『糖尿病というハンディを背負った人生、無理はできない』という心の壁がありましたが、ホノルルを走れたことで自信を取り戻すことができました。糖尿病患者がマラソンを走るには、距離や体調などからインスリンの量を調整する血糖値調整の技術が必要ですが、自己管理と練習をきちんとできれば必ずやり遂げられる。『NO LIMIT!』はそんな自身の体験から来ています」。
 大会では、患者、医師、医療関係者らが一緒に走ることで、自発的な気持ちで運動に取り組める雰囲気が生まれ、立場を超えたフラットな人間関係が育まれる。今年10月都内で開催されたタートルマラソンには120名が参加し、打ち上げにも90名が出席。青森、東京、横浜、関西、福岡など全国各地からメンバーが駆けつけランニング談議に花を咲かせた。
国内患者と予備群はおよそ2210万人と増加の一途。2006年には国連が11月14日を「世界糖尿病デー」とするなど世界的な懸案事項となっている昨今、TDJの活動は日本糖尿病協会認定となるなど年々賛同者が増え、医師の間でも「糖尿病にランニングは有効」という考え方が広まってきているという。


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