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ランナーズ賞

2012 RUNNERS AWARD 第24回ランナーズ賞

2011年 第24回ランナーズ賞受賞者

受賞者

地域、健康、仲間、科学の融合を実現

徳島大学開放実践センターマラソン講座&徳島大学TJP(徳島大学ジョガーズパラダイス)

徳島大学開放実践センター
マラソン講座&徳島大学TJP
(徳島大学ジョガーズパラダイス)


2002年の開設から丸10年を迎えた徳島大学開放実践センターマラソン講座。受講期間は2年で週に1度、座学と実技(トレーニング)を行い、ホノルルマラソン出場、完走を目標に設定している。開講のキッカケはスポーツ社会学を専門とする田中俊夫教授(51歳)がアメリカで見た10kmレースだ。
「当時、『運動を楽しい』と思ってもらえるキッカケ作りを考えていましたが、エンターテインメント性の強いこのレースを見た時、ホノルルマラソンならその役割を果たせると思ったんです」
帰国後、元マラソンランナーで運動生理学を専門とする同大学の小原繁教授(63歳)とともに講座を開講。
「100mから始めるホノルルマラソン」というキャッチコピーを掲げ、初年度に集まった受講者は85名。その後も1期あたり80名前後で講座を行い、時には任意で小原教授や田中教授の研究の被験者にもなってもらっている。
「最近は40名の会員さんに血液検査を数回行っていただき、ランニングにより抗酸化能力が上がるという論文を書きました(小原先生)」
トレーニングは段階的に量を増やす方法。元受講生でクラブ組織として運営される徳島大学TJPの代表を務める井口泰さん(54歳)は、
「最初はホントに100mしか走れない人もいますが、自分の目標を持ってマイペースに取り組みます。50歳を超えてから若々しくなれることが楽しいですし、多くの方がそう思っているのではないかな」
徳島大学TJPは人気急上昇中のとくしまマラソンのスタッフにも参画。ランニングを通して地域に貢献し、研究と実践の場が1つになる仕組作りに成功している。受講者の総数は延べ2369名を数え、前出の井口さんは、
「チーム名の由来はランナーの楽園にしたいという思いからですが、当初の予想を上回る盛り上がりを見せています」

視覚障害者ランナーの代弁者として

鈴木邦雄さん(66歳)

鈴木邦雄さん(66歳)

1984年、日本盲人マラソン協会の練習会で初めて伴走を経験したことが全ての始まりだった。
「視覚障害者ランナーは僕らと何も変わらない。ただ眼が見えないだけ」
みな一様に明るく、冗談を言って騒げば、お酒も大好き。当初の暗いイメージとは驚くほど正反対であったが、翻って、彼らにとって「いい伴走者とは」の問いに対する答えは、すぐに見出すことができなかった。
しかし、人の役に立てているという喜びが伴走を続ける動機になった。
今年で伴走歴27年を数える鈴木さんが考える伴走者の心得。それは、相手の立場になって声を聞き、語りかけること。
つまり障害走者の多くは、「クレームをつける生意気な障害者」という誤解を恐れて意思表示すら躊躇してしまう傾向にあるという。そこで練習や大会会場、その他の何気ない会話の中で思わずこぼれた声を拾い集め、1枚の紙にまとめたのが、「視覚障害者ランナーからのひと言」。
「ゴールの位置をちゃんと教えて!バンザイでゴールしたいから」
「本当は今日、のんびりと楽しんで走りたかったんだ……」
など、そこには彼らの素直な気持ち、言葉が並んでいる。
「視覚障害者ランナーの代弁者たれ」をモットーとし、彼らのかゆいところにしっかり手が届く鈴木さんの伴走は、ときに彼らに伴走者や障害の存在さえ忘れさせ、ひとりで走っているかのような錯覚に陥るほどの安心感を与えることから「伴走の神様」と称されることもあるというが、
「僕は皆様からお賽銭をもらっていないので神様ではありません(笑)」
と、おどけて見せる。また、自らのノウハウを1冊にした「伴走(歩)ガイド」を基に伴走術を広めるため、年12回の伴走教室も開いている。
「伴走者を増やし、レベルを引き上げ、互いにストレスの無い対等な関係を築きやすくすることが僕のライフワーク。使命だと思っています」

古代オリンピックの精神を持つウルトラの女王

能渡貴美枝さん(59歳)

能渡貴美枝さん(59歳)

40歳の時に走り始めた能渡さんは、近所のおじさんランナーから「よく走るならレースに出なさい」とすすめられ、「札幌走ろう会」に入会。そのメンバーがウルトラランナーズクラブを立ち上げ、「走りがちょこちょこしていて、ウルトラ向き」と言われた。
「誰がそんなヘンなものに入るかと思ったけど、知り合いがたくさんいたので、遊び半分で入りました」
初ウルトラとなった1994年、チャレンジ富士五湖(117km)で優勝し、ウルトラの魅力にとりつかれていく。最初のスパルタスロンは211.7kmでリタイアした。140回を越えるウルトラマラソンでのリタイアは、この1回目のスパルタスロンとあと2レース。3回だけだ。
「距離の長さがイヤになり、いつもリタイアする言い訳を探すけど、ちょっと休んだり、沿道から声援を受けると、また走る気になってくるの。ひとりぼっちではないことが原動力かな?」
いつもマイペース。
「80km過ぎたら次の90km、その次と、決して駄目だと思わないようにしています。男性は、スタートから飛ばし過ぎたり、女性について行ったりしてオーバーペースでリタイアする人が多いかな?」
ちらりと、夫であり走歴30年の武美さんを振り向く。
好きなレースはやっぱりスパルタスロン!
「世界各国の人と出会えるし、日本にはない景色も美しいし、沿道でのふれあいも楽しい。距離が長いだけ、深まりが強いのかな? 今年のスパルタスロンは、フィンランドの女性マリッカと一緒にゴールしたのよ!」
サロマ湖100kmのグランドブルー(20回完走)まで、あと2年。気負わず、飾らず、自然体で淡々と走り続ける能渡さんの姿勢は、「鍛えられた肉体が純粋に求めて競う」古代オリンピックの精神とも重なり、希望と勇気を与えてくれる。


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