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市民ランニング小史

市民ランニング小史(2000年代)

市民ランニング小史

2000年(平成12年)

<5月>

コンビニ対応ランナーズ大会エントリーサービス「C+RUNTES(シーランテス)」開始。従来どおりインターネット(RUNNET)で大会申し込み後、コンビニで入金ができる(CはコンビニのC)というもので、この年から、明らかに大会申し込み方法はより便利に変わった。また、同年11月には携帯電話から大会エントリーが可能な「i+ RUNTES(アイランテス)」もスタート。

<6月>

第15回サロマ湖100km大会で、ウルトラマラソン初出場の安部友恵がロードにおける女子世界最高記録を達成。快晴で気温29℃と高い過酷なレース条件の中、淡々とした余裕の走りで6時間33分11秒。1km4分というペースを終始守り、女子優勝ならびに総合でも2位という素晴らしいゴールを見せた。

写真 : それまでの世界最高記録を27分37秒も短縮し、安部友恵は女子として初めて、しかも大幅に7時間を切る世界最高記録を出した

それまでの世界最高記録を27分37秒も短縮し、安部友恵は女子として初めて、しかも大幅に7時間を切る世界最高記録を出した

(c)若林伸夫

<9月>

昨年の北海道マラソンで優勝した松尾和美が、ベルリンマラソンを2時間26分15秒で走り女子優勝。松尾の優勝は、ベルリンでは男女通じて初の日本人優勝となった。

高橋尚子が、シドニーオリンピックの女子マラソンで圧勝。2時間23分14秒の五輪最高記録を出すとともに、日本の陸上競技では64年ぶり、女子では初めての金メダルを獲得した。

写真上 : 高橋尚子(右端=先頭)はレースの主導権を終始握り、まず17km過ぎで飛び出して集団を崩壊させた後は、トップ争いに残っていた市橋有里やシモンを、さらにあと2回のスパートで一人ずつ振り切った

写真下 : 史上一番ともいわれた難コースを五輪最高記録で駆け抜け、メーンポールに日の丸を揚げた高橋。女子マラソン生中継(テレビ朝日系)は瞬間最高視聴率59.5%という高い数字を記録した写真:史上一番ともいわれた難コースを五輪最高記録で駆け抜け、メーンポールに日の丸を揚げた高橋。女子マラソン生中継(テレビ朝日系)は瞬間最高視聴率59.5%という高い数字を記録した

高橋尚子が、シドニーオリンピックの女子マラソンで圧勝

第18回スパルタスロンで日本人男女初優勝。スタート時16℃の気象条件は例年のこの時期に比べると涼しく、走りやすいコンディションだったという。年々増えている日本人参加者は81人、完走者38人。近年の中で、完走率47%は比較的高い数字。

2001年(平成13年)

東京で真の市民フルマラソンを実現させよう、と有志による「大江戸夢舞いマラソン(後に東京夢舞いマラソンと改名)」が元日に行われた。コースは、東京湾お台場海浜公園をスタートし、東京の新旧名所をつないでランナー馴染みの代々木公園まで走る。すべて歩道を使い、信号も守ってのファンランだったが、「ニューヨークやロンドンのように、何万人ものランナーとそれを応援するボランティア、観衆が一体となったマラソンを大都市・東京で開こう」という、この夢と情熱あふれる企画デモンストレーションは、『ランナーズ』誌上で紹介されるや多くの市民ランナーの賛同を得た。

写真 : 21世紀の初日でもある2001年元旦の銀座4丁目交差点を走る参加者たち。車も人も少なく、空気がすがすがしくて走りやすかったという

21世紀の初日でもある2001年元旦の銀座4丁目交差点を走る参加者たち

<3月>

毎年、放送界で活躍し、優れた功績をあげた女性に送られる「放送ウーマン賞」を、スポーツライターの増田明美さんが受賞。前年のシドニー五輪女子マラソンの解説をはじめ、綿密な取材に基づく表現力豊かなマラソン中継が、視聴者やスポーツ放送関係者に高く評価されての結果であった。
また、増田さんは、バルセロナ五輪女子マラソン4位の山下佐知子さん(第一生命陸上部監督)と共に、この年から日本陸上競技連盟の理事にも就任。日本陸連の理事に女性2人が登用されたのは初めてのことで、陸連によると「女性アスリートが目覚しい活躍を収める中で、国際化に対応した組織改革」が選出理由とのこと。

<5月>

RUNNETからのサービスの一つとして、レースの途中通過タイムやゴールタイムを、携帯電話、インターネットアドレスに瞬時に配信する「GT Mails(ジーティメイルズ)」が始まる。フィニッシュエリアで待っている応援の人や、会場に来られなかった家族や友人に、自動的に参加者のタイムを知らせることができる画期的システム。

【海外】日韓共通開催となったサッカーのワールドカップがあったこの年、韓国では、サッカーに優るとも劣らない勢いで、ランニングが急速な盛り上がりを見せた。ランニング専門誌『RUNNERS KOERA』の発刊、全国アマチュアマラソン協会の発足、マラソンに関するインターネット機関も多数できるなど、爆発的なブームが生まれた背景には、1992年、黄永祚(ファンヨンジョ)のバルセロナ五輪制覇から、1996年の李鳳柱(イボンジュ)のアトランタ五輪銀メダル獲得がある。2大会連続のオリンピックマラソンの活躍で、韓国内のマラソンに対する熱気は高潮、マスターズの大会が年々開かれるようになり、本格的に一般市民が大会に参加できるようになった。健康増進がランニングの目的であると共に、試練を克服できる精神力を養う、という面が強調されるのもお国柄ゆえか。

写真:ソウルから80kmほど北東にある春川市で毎年10月に開催される春川国際マラソン。市内の陸上競技場を発着点とし、衣岩湖という美しい湖の湖畔沿いを走る

ソウルから80kmほど北東にある春川市で毎年10月に開催される春川国際マラソン。市内の陸上競技場を発着点とし、衣岩湖という美しい湖の湖畔沿いを走る

<6月>

小出義雄監督が、株式会社組織の「佐倉アスリートクラブ(SAC)」を設立。当時、積水化学女子陸上部の監督を続けながらのクラブ設立だったが、かねてから構想を抱いていた、実業団の枠を越えてトップランナーを育てたいという希望実現への第一歩となった。

写真 : 有森裕子、鈴木博美、高橋尚子という、オリンピックや世界陸上のメダリストたちを育てた小出監督。SACには、小出監督の指導を希望する選手のほか、(実業団陸上部の廃部が多くある現状で)可能性がありながらも陸上を続けられない選手の加入など考えられる

有森裕子、鈴木博美、高橋尚子という、オリンピックや世界陸上のメダリストたちを育てた小出監督

「e- Athletes(イーアスリーツ)」がスタート。プロフェッショナルスタッフがあらゆるレベルのランナーのパフォーマンス向上をサポートする、クラブチームの形態をとった新しいタイプのランニングスクール。電子メールなどを駆使して会員を個別指導するので、遠隔地のランナーでもメンバーになることができるという特徴をもつ。代表兼コーチは、有吉正博氏(東京学芸大学教授)のもとでトレーニング法と指導法を学び、自身の実業団選手生活や大学陸上部監督の経験もある鈴木彰氏。

<8月>

カナダのエドモントンで開催された世界陸上選手権。女子マラソンでの優勝は、スタミナを身につけたルーマニアのリディア・シモン2時間26分1秒。日本の土佐礼子はシモンと5秒差の2時間26分6秒で2位に入り、銀メダルを獲得した。

<9月>

「第1回歴史街道・丹後100kmウルトラマラソン」開催。日本海に面したリアス式海岸の丹後半島を舞台に、変化に富んだタフな、だが美しいコースと評判を呼ぶ。

高橋尚子、ベルリンマラソンで2時間19分46秒の女子マラソン世界最高記録を達成。すでに国民的英雄ともいえる高橋の大きな快挙に、前年のシドニー同様、テレビ中継の瞬間視聴率は50%を超え、このニュースに日本中が沸いた。
しかし、その1週間後シカゴマラソンで、ケニアのキャサリン・ヌデレバ(2時間18分47秒)によってこの記録はあっさりと塗り替えられてしまう。女子マラソンは20分の壁を破り、いよいよ高速の時代を迎えたのだ。

写真 : 女性ランナーとして世界で初めて2時間20分を突破。いいコース、いい気象条件のもとで、メダルを賭けた「人との争い」ではなく、ただ自分との闘いだけに集中したという高橋

女性ランナーとして世界で初めて2時間20分を突破

(c)北川外志廣

<11月>

【海外】9月11日にアメリカを襲った同時多発テロの、飛行機と世界貿易センタービルの生々しい映像は世界中を震撼とさせた。その日から3日後、当時のニューヨーク市長ジュリアーニは「ニューヨークシティマラソンは通常通り開催」と即断。市長が、テロに屈しない闘いとは「市民が普段通りの生活を送ること」とすぐに決定を下した意義は大きい。
大会では、テロ犠牲者の名前をTシャツの背中に書いて走るたくさんのランナーの姿があり、沿道には熱狂するニューヨーカーがその数200万人と溢れ、人々の相互理解と連帯と協力を証明するかのようなパワーが満ちていた。
トップ選手らも応援に応え、男子はエチオピアのテスファエ・ジファルが2時間7分43秒、女子はケニアのマーガレット・オカヨが2時間24分21秒でいずれも初優勝。男女ともコース最高記録が生まれた。

写真:同時多発テロわずか7週間後の開催。今年の大会が特別の意味を持つことを、ランナーはもちろん沿道の誰もがわかっていた

同時多発テロわずか7週間後の開催。今年の大会が特別の意味を持つことを、ランナーはもちろん沿道の誰もがわかっていた

<12月>

ニッポンランナーズ」誕生。選手、コーチ、監督として共に歩んできたリクルートクラブの休部に伴い、実業団システムとは違った総合型地域クラブチームを立ち上げたのは、あの有森裕子を育てたコーチでもある金哲彦氏。アスリート、市民、子どもたちに対し、スポーツの「指導・育成」「活動の支援」「大会の企画・運営」などの事業を行い、スポーツ振興と、人々の暮らしや地域の活性化に寄与することを目的に、NPO法人として活動を始めた。

写真 : 金哲彦氏は、音楽やアートと同じように、スポーツが市民生活の中で“文化”として位置付けられることを願う、と語る

金哲彦氏は、音楽やアートと同じように、スポーツが市民生活の中で“文化”として位置付けられることを願う、と語る

2002年(平成14年)

<4月>

ロンドンマラソン開催。女子は初マラソンのポーラ・ラドクリフ(イギリス)が2時間18分56秒の当時世界歴代2位、初マラソンの女子世界最高記録で優勝。鮮烈なデビューを飾った。
男子は、2時間5分42秒の世界記録保持者ハリド・ハヌーチが、再び5分台を出す2時間5分38秒。2位、ケニアのポール・テルガトも史上2人目の5分台となる2時間5分48秒をマークした。また、トラックの王者ハイレ・ゲブレシラシエは、初マラソン世界最高記録2時間6分35秒で3位。驚異的な記録が続いた同大会、フィニッシュゾーンが例年以上に熱狂的歓声で沸いたのはいうまでもない。

<7月>

東京都内の目抜き通りを走る、市民のための都市型大規模フルマラソンの実現に向けて「第1回東京マラソンシンポジウム」が開かれた。東京の中心街を駆け抜ける大会は、男子で2時間30分以内、女子で3時間15分以内の走力を持つ高速ランナー出場の「東京国際マラソン」と「東京国際女子マラソン」のみ。こんな現況に疑問を投げかけ、首都東京に、世界に誇れるマラソン大会「東京夢舞いマラソン」の創設を訴えるシンポジウムである。母体となったのは、ランニングを通して異業種交流を図る「明走会」(森部好樹代表)と、2001年正月に大江戸夢舞いマラソンを走った障害者との共走会「アキレストラッククラブ」などの、いわゆる市民ランナーたちの「東京夢舞いマラソン準備委員会」。
10月には“誰もが走れる都心のフルマラソンを一緒に作り上げよう”を合い言葉に「走るシンポジウム」も開催され、全国から集まった約700人が都心を走った。
“市民ランナーの夢”の実現に向けて、着実な一歩を刻んだ年。

写真 : 走ったのは17歳から83歳までの約700人。沿道への監察ボランティアなど、運営スタッフ約100人もすべてランナー。主旨に賛同した約800人の「夢」みるランナーたち全員が、ランナー走者、スタッフというそれぞれの立場で考え、一緒に汗を流した試みであった

走ったのは17歳から83歳までの約700人

<11月>

22日、福知山マラソンで58歳と59歳の男性、同日の名古屋シティマラソンで58歳の男性がそれぞれ心臓突然死で死亡する事故が重なった。くしくも前日の21日にはカナダ大使館で起こった高円宮殿下(47歳)のスカッシュ練習中の心臓突然死があり、相次いだこれらのニュースはスポーツ愛好家のみならず一般の人々にも大変衝撃的なものとして受け止められた。
いずれの事例でも配置されていた救命士、参加者の医師、看護師による心肺蘇生法がなされたが、残念ながら命を救えなかったこれらの出来事から、全国のランニング大会主催者の間では、いざというときの蘇生法を単発で行うだけでなく、救命リレー(Chain of Survival)の連携はより確実にスムーズに行われるか、高度なケアの技術を習得し十分なトレーニングをしているか、応急手当を実施した場合の法律関係が明確であるか、など、緊急ケアの内容と体制について改めて見直す動きが生まれた。

<12月>

全日本実業団対抗女子駅伝で、バルセロナ五輪女子マラソン4位の山下佐知子率いる第一生命が、大会記録にあと1秒と迫る2時間14分00秒(6区間、42.195km)で初優勝。

写真 : 区間賞をとった選手が誰もいないのにもかかわらず、強豪の三井住友海上をおさえて優勝した第一生命。絶対的なエースがいないチームの中で、智将・山下佐知子監督のもと、選手一人一人がそれぞれの役割をしっかりこなしたタスキのつなぎのよさが光った

区間賞をとった選手が誰もいないのにもかかわらず、強豪の三井住友海上をおさえて優勝した第一生命

第30回ホノルルマラソン開催。記念大会となるこの年は、30,428人のランナーが世界45カ国から集結した。日本からの参加も増え、前年の倍にのぼる17,266人がエントリー。完走者数26,407人、完走率86.7%であった。

写真上:日中暑くなるホノルルマラソンのスタートは、午前5時と早い。街中クリスマスムード一色のイルミネーションが、走り出したランナーたちを応援しているかのように賑やかに輝く

写真下:ホノルルの最大の魅力は、参加者に対する温かいもてなし“アロハスピリッツ”にあるといわれる。ゴールのカピオラニ公園では、まさに誰もが勝者、誰もが主役だと実感できるだろう

第30回ホノルルマラソン開催

(c)播本明彦

2003年(平成15年)

<1月>

特定非営利活動法人 東京夢舞いマラソン実行委員会」設立。市民主導のマラソン大会を都心にという夢を形にするため、この年、市民ランナーたちによる実行委員会(それまでの“準備委員会”)は、NPO申請、法人化と更なる進化を続けた。

26日に行われた大阪国際女子マラソンにおいて、日本人選手3人が21分台という高タイムで上位を独占。優勝は、日本歴代2位となる2時間21分18秒をマークした野口みずき。2位には、このレースに復活をかけた千葉真子が2時間21分45秒で続き、坂本直子が、初マラソン日本最高の2時間21分51秒で3位に入った。
国内無敵の高橋尚子の存在を脅かす選手が、確実に育っていることを印象付けた「大阪」だった。

マラソン3回目の挑戦となるポーラ・ラドクリフは、ロンドンマラソンで自らの世界最高記録を1分53秒縮め、2時間15分25秒の世界新記録で優勝。2位のキャサリン・ヌデレバに4分30秒もの大差をつけて、大会の連覇と初マラソンから負けなしの3連勝を達成した。

写真 : スタート直後から2人の男性ペースメーカーと共に独走態勢を築き、中間点を1時間8分2秒で通過すると、後半さらにペースアップしたラドクリフ。2時間15分25秒という記録は、世界の女子マラソン界に大きな衝撃を与えた

スタート直後から2人の男性ペースメーカーと共に独走態勢を築き、中間点を1時間8分2秒で通過すると、後半さらにペースアップしたラドクリフ

(c)北川外志廣

<5月>

江戸開府400年記念大会と銘打って、都心を駆け抜ける市民参加の10kmロードレース大会「東京シティロードレース2003」が開催された。前年の2002年に誕生したこの大会は、日比谷公園をスタート・国立競技場をゴールとする東京国際マラソンのラスト10kmと同じコース(日本陸連公認)。

<8月>

パリの観光名所を巡るコースで行われた世界陸上選手権の男女マラソン。日本勢は、前回のエドモントンでも5位に入った油谷繁が今回も5位に入賞した。
男子の翌日に行われた女子は、33km地点で集団を抜け出したキャサリン・ヌデレバが優勝。ヌデレバを追いかけた野口みずきが2位、千葉真子、坂本直子も続いて3位、4位に入る大健闘を見せた。この年1月の大阪国際女子マラソンで1位から3位を占めた3人が世界の舞台でも2位から4位に入るという好記録。団体戦では文句なしの金メダルに輝いた。

写真 : 女子マラソン3位の千葉真子は、1997年アテネ世界陸上の1万m銅メダルに続いて、今回マラソンでも銅メダル獲得。マラソンとトラックレースの2つでのメダリストとなったのは、同大会史上、千葉が初めて

女子マラソン3位の千葉真子は、1997年アテネ世界陸上の1万m銅メダルに続いて、今回マラソンでも銅メダル獲得

なお、世界陸上選手権男子200mでは末續慎吾が3位となり、日本人として初めて短距離でメダルを獲得。偉業ともいうべき快挙に、陸上短距離ファンのみならず、日本中のスポーツファンの喝采を浴びた。従来の中心軸走法に対して、日本古来のニ軸走法となる末續選手の走り方「なんば走り」は、銅メダルの原動力と話題を集めた。

写真 : 「身体の軸は2本」として、理論的にも理想の走りと説明された「なんば走り」は大変注目された。高橋尚子やヌデレバもこの走法

「身体の軸は2本」として、理論的にも理想の走りと説明された「なんば走り」は大変注目された

(c)北川外志廣

<9月>

世界屈指の高速コース・ベルリンマラソンで、ケニアのポール・テルガトが2時間4分55秒の世界最高記録をマーク。ペースメーカーを務めたサミー・コリルも、テルガトの1秒後にゴールし、2人のランナーが2時間5分の壁を突破した。
女子は、日本の橋本康子が2時間26分32秒で優勝。2000年の松尾和美、2001・2002年の高橋尚子に続き、日本人女子がこの大会4連勝となった。

<11月>

東京国際女子マラソン開催。アテネ五輪の代表権獲得をかけて、3年8カ月ぶりに高橋尚子が国内のマラソンに出場すると注目を集めたが、圧勝するかに思われた高橋は終盤になってまさかの失速。優勝をエチオピアのアレム(2時間24分47秒)に持っていかれ、この大波乱で女子マラソンの代表選考は混戦となった。
また、同大会の25回を記念して、男子は2時間30分以上3時間15分以内、女子は3時間30分以内のタイムのランナーを対象に市民マラソンの部が行われたが、高温強風の悪コンディションに給水不足も重なり、男子の完走率は40.4%という低い数字に終わった。

<12月>

福岡国際マラソンはこの年、国内で初めてペースメーカーの存在を公表してレースを開催。優勝・国近友昭の2時間7分52秒に続いて、諏訪利成と高岡寿成も2時間7分台となり、日本人選手同士によるハイレベルな戦いとなった。

第31回ホノルルマラソンで、男女を通じて初めて日本人がトップのゴールテープを切った。快挙を成し遂げたのは、前年のこの大会で女子総合4位(日本人女子1位)となった早川英里。優勝タイムは2時間31分57秒。これまで延べ24万人以上の日本人が参加したホノルルの歴史に、新たなページが刻まれた。

写真 : 大学4年に在学中ながら、学業と競技を両立しつつ実力をつけてきた早川英里。谷川真理を育てた中島進コーチが指導している

大学4年に在学中ながら、学業と競技を両立しつつ実力をつけてきた早川英里

2004年(平成16年)

<7月>

根強い人気の富士登山競走は、第57回のこの年より年齢制限を撤廃。以前は50歳未満だった規制が年月の経過とともに55歳未満、60歳未満……と徐々に緩和されてのことである。走りに年齢など関係ないことを、元気な中高年たちが脚で証明してみせた証か。なお、2004年の出走者数は五合目コース432人を含む2,849人。

写真 : ランナーたち自らの“脚”で掴み取った年齢制限撤廃。毎年「富士登山競走攻略」が雑誌特集で組まれるほど、同大会は注目されている

ランナーたち自らの“脚”で掴み取った年齢制限撤廃

<8月>

アテネオリンピック開催。前回のシドニー五輪で高橋尚子が金メダルに輝いた女子マラソンは、野口みずきが2時間26分20秒で優勝を飾った。暑さの中、世界記録保持者ポーラ・ラドクリフも棄権するほどのタフなレースとなったが、野口は詰め寄るキャサリン・ヌデレバを振り切ってゴール。これで日本女子は連覇を果たすと共に4大会連続メダルを獲得し、また土佐礼子が5位、坂本直子が7位と全員が入賞する快挙も達成した。
男子マラソンでは、先頭を走っていたブラジルのデ・リマに沿道からのコース乱入者が襲いかかるハプニングがあったが、その後銅メダルに終わったリマのさわやかな態度には、世界から惜しみない拍手が注がれた。優勝はイタリアのバルディーニ、2時間10分55秒。日本勢は油谷繁が5位、諏訪利成が6位と3大会ぶりに入賞を果たした。

写真 : 本命ラドクリフも力を出せなかったほどの暑さと、大理石が混ざっているハードなアテネのコース。野口は高地トレーニングの成果でもある強靭な脚、心肺機能、精神力……と充実した状態で見事金メダルに輝いた

野口は高地トレーニングの成果でもある強靭な脚、心肺機能、精神力……と充実した状態で見事金メダルに輝いた

(c)北川外志廣

<9月>

オリンピックで沸いた約1ヵ月後、渋井陽子が日本記録を更新する2時間19分41秒というタイムでベルリンマラソン優勝。マラソン界のニューヒロインとして期待されながらも、2003年の左ひざの故障をきっかけに不調に陥っていた渋井だが、あの高橋尚子の記録を5秒更新することで鮮やかな復活を果たした。

写真 : 1万mの日本記録を持つスピードランナー・渋井陽子は、2001年に当時の初マラソン世界最高記録もまた出している。不本意な結果となったアテネ五輪の選考レースを経て、屈辱をバネに、かつて弱点といわれた30km以降のスタミナも身につけた

1万mの日本記録を持つスピードランナー・渋井陽子は、2001年に当時の初マラソン世界最高記録もまた出している

(c)北川外志廣

<10月>

前年、オランダのウーデンで開かれたことに続き、「24時間走世界選手権大会」の第2回大会がチェコ共和国第2の都市ブルノで開催。日本からは厳格な選考基準をクリアした男子6人、女子4人が出場し、2002年スパルタスロンの優勝者でもある関家良一さんと、女子の24時間ロードでアジア記録を持つ加村雅柄さんが見事男女アベック優勝を果たした。

<11月>

マラソン100撰で上位にもあげられる人気大会の福知山マラソンは、14回目を迎えたこの年、自然災害により中止の決定。京都府北部に甚大な被害をもたらした台風23号の水害から復旧の目途が立たず、走路においてランナーの安全が確保できないということが主な理由だった。

2005年(平成17年)

<1月>

2000年1月に第1回大会が始まって以来、年々人気の高まる「谷川真理ハーフマラソン」で参加者が1万人を突破。対人地雷撤去チャリティと銘打って荒川河川敷フルマラソンコース(日本陸連公認)で開催される同大会は、首都圏のハーフマラソンとしての位置付けに乗る一方、谷川真理と有名タレントのトークショーや、チャリティ即売会などのアトラクションも毎年会場の盛り上げにひと役買っている形だ。

写真 : にぎやかで楽しいマラソン大会として知られるようになってきた谷川真理ハーフ。ホノルルマラソンの常連でフルを3時間15分前後で走るタレント・長谷川理恵さんも毎年欠かさず参加している。カリスマモデルといわれた長谷川さんが熱心なランナーであることは、一般女性がランニングに興味を持つきっかけとして決して小さくはない役割を果たした

にぎやかで楽しいマラソン大会として知られるようになってきた谷川真理ハーフ

ここ数年のマラソン大会における女性ランナーの増加は、女性の健康志向やダイエットブームがベースにあるとはいえ、さまざまな特徴を持つ個性的な大会が増えていることもその大きな一因といえる。実際、女子参加の多い大会とは、フル・ハーフ・10Kといったメイン種目の如何に関わらず、ヨロンマラソンや荒川市民、山中湖、青島太平洋、NAHAなど制限時間が緩い、もしくは「ない」大会が目立ち、そのほか多少タフであっても風光明媚なコース設定や、気の利いた参加賞、飲食物が豊富といったサービスの充実などが見受けられる。また、5月の洞爺湖や8月の北海道のように、国際女子マラソンから日程が離れているという理由で女性ランナーの完走率が高い大会も。

写真 : この傾向は海外マラソンにおいても同様であり、景色を楽しめるコース・大会演出サービスのよさ・8時間の制限時間・舞台となる島のゆったりした雰囲気とアフターレースの観光の楽しみ……と、いくつもの魅力を挙げられるマウイマラソンなどは、すでに参加者の半数以上を女性が占めている(2005年大会フル:総数約1,700人のうち52%、ハーフ:同約1,300人のうち65%)

この傾向は海外マラソンにおいても同様

<6月>

20回目を迎えたサロマ湖100kmウルトラマラソンは、IAU(国際ウルトラランナーズ協会)100kmワールドカップとして開催され、国際色豊かなウルトラの強豪たちが記念大会に色を添えた。代表選手を除く申し込み者数は過去最多の2,823人。
日本には100kmやそれを超える距離の大会が数多くあるが、20年前に国内初の100kmマラソンがサロマ湖で開催された意味は大きく、この「走ってみたい」と思わせるロケーションとコース設定によって、多くのランナーたちは「いつか100km」という憧憬とチャレンジの気概を持ち続けてきたといえる。

写真 : まだ倍以上の距離を残す42.195km地点通過の付近。ランナーが進む道の横にはサロマ湖が青く広がる。この大会なしに、日本のウルトラ人口はかくもここまで増えただろうか

まだ倍以上の距離を残す42.195km地点通過の付近

<7月>

24時間走世界選手権はオーストリア中部山あいの小さな村ブェルシャッハで開催され、観客数延べ約2万人を集める中、29カ国から男子129人、女子57人が参加。日本からは、男子9人、女子5人が出場した。ラスト20分での大逆転劇により、日本男子チームが悲願の世界制覇を達成。

写真 : 男子団体で金メダルとなった日本チーム。センターポールに日の丸が揚がり、君が代が流れた

男子団体で金メダルとなった日本チーム。センターポールに日の丸が揚がり、君が代が流れた

(c)井上明宏

<8月>

視覚障害、聴覚障害、知的障害、身体障害などさまざまな障害を持つランナーや健常者が分け隔てなくランニングを楽しむ組織・「アキレストラッククラブジャパン(日本支部)」=ATCが結成10周年を迎えた。一般的には、「障害」を持つランナーといえば盲人や車いすなど思い浮かべがちなところ、非営利市民団体で世界各国に支部が設けられているATCは、ボーダーレスに開かれていることが特徴であり、ガンなどの大病後の希望にかける人、離婚や肉親との死別による哀しみから再起を期する人まで所属。法的な障害者手帳の有無は関係ないままに、ランニングを通して広く万人の心のひだを受容している。
障害者がランニング大会で楽しむ姿を多く見られるようになったこの10年、それについてATCが果たした役割は大きなものがあったが、と同時にクラブの「全員で支え合う」という気風は組織外の賛同者を次々と呼び、国内外のランニング諸団体との交流も盛ん。東京での真の市民マラソン開催をめざすべく、2001年元旦に大江戸夢舞いマラソン(現・東京夢舞いマラソン)の企画を仕掛けたのも、ATCのメンバー大島幸夫氏と仲間たちであった。

写真 : 拍手と歓声で沸いた5km・10km走の10周年記念イベント。手前は車いすで祝福するアキレストラッククラブのニューヨーク本部・ディック・トラウム会長

拍手と歓声で沸いた5km・10km走の10周年記念イベント

(c)松岡幸一

フィンランド・ヘルシンキで世界陸上選手権開催。尾方剛が男子マラソン銅メダルを獲得(2時間11分16秒)し、4位に高岡寿成(2時間11分53秒)が入った。
女子マラソンでは、リタイアとなったアテネ五輪の悔しさを晴らすかのようにポーラ・ラドクリフが2時間20分57秒のタイムで優勝、2位キャサリン・ヌデレバと順当な結果。日本女子は、原裕美子が6位、弘山晴美が8位だった。
団体で男子は金、女子は銀メダルを獲得したが、マラソンの高速化が進む中、世界の強豪たちに際し手堅くまとめる走りに終始した男女日本勢に、課題の見える世界選手権となった。

写真上:集団の後方に位置を取り、冷静な走りをした尾方剛

写真下:女子マラソンは、最初の1kmで3分30秒を切るくらいのスタート。ラドクリフが主導権を握る形で、序盤から縦に長い列ができた

フィンランド・ヘルシンキで世界陸上選手権開催

(c)北川外志廣

<9月>

アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきが、世界歴代3位となる2時間19分12秒の日本新記録でベルリンマラソン優勝。野口にとって1年1カ月ぶりのフルマラソンは、昨年のこの大会で渋井陽子がマークした2時間19分41秒の日本記録と、中国の孫英傑が持つアジア記録(2時間19分39秒)を共に上回る快挙達成となった。

写真 : レース前から日本記録更新を宣言していた野口みずき。ペースメーカーに引っ張られるのではなく、前半から積極的に前に出る走りで、自らのペースを作り出していた

レース前から日本記録更新を宣言していた野口みずき

(c)北川外志

<10月>

「2007年、東京で大規模なシティマラソン」――― 20日、石原慎太郎都知事と日本陸連会長の河野洋平衆院議長は、2007年に大会名「東京マラソン(仮称)」を開催することに関して基本合意を交わした。翌21日の発表によると、「観光名所を巡り、かつ記録を狙える魅力あるコース」設定に、トップアスリートを含む男女3万人規模の参加を想定する、というもの。石原都知事は11月のニューヨークシティマラソンへも視察に訪米し、レース終了後の6日午後(日本時間7日未明)、現地で「素晴らしい祭りだ。東京でもできると思う」と感想を述べた。