市民ランニング小史
市民ランニング小史(2000年代)
<5月>
コンビニ対応ランナーズ大会エントリーサービス「C+RUNTES(シーランテス)」開始。従来どおりインターネット(RUNNET)で大会申し込み後、コンビニで入金ができる(CはコンビニのC)というもので、この年から、明らかに大会申し込み方法はより便利に変わった。また、同年11月には携帯電話から大会エントリーが可能な「i+ RUNTES(アイランテス)」もスタート。
<6月>
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<9月>
昨年の北海道マラソンで優勝した松尾和美が、ベルリンマラソンを2時間26分15秒で走り女子優勝。松尾の優勝は、ベルリンでは男女通じて初の日本人優勝となった。
高橋尚子が、シドニーオリンピックの女子マラソンで圧勝。2時間23分14秒の五輪最高記録を出すとともに、日本の陸上競技では64年ぶり、女子では初めての金メダルを獲得した。 |
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第18回スパルタスロンで日本人男女初優勝。スタート時16℃の気象条件は例年のこの時期に比べると涼しく、走りやすいコンディションだったという。年々増えている日本人参加者は81人、完走者38人。近年の中で、完走率47%は比較的高い数字。
東京で真の市民フルマラソンを実現させよう、と有志による「大江戸夢舞いマラソン(後に東京夢舞いマラソンと改名)」が元日に行われた。コースは、東京湾お台場海浜公園をスタートし、東京の新旧名所をつないでランナー馴染みの代々木公園まで走る。すべて歩道を使い、信号も守ってのファンランだったが、「ニューヨークやロンドンのように、何万人ものランナーとそれを応援するボランティア、観衆が一体となったマラソンを大都市・東京で開こう」という、この夢と情熱あふれる企画デモンストレーションは、『ランナーズ』誌上で紹介されるや多くの市民ランナーの賛同を得た。 |
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<3月>
毎年、放送界で活躍し、優れた功績をあげた女性に送られる「放送ウーマン賞」を、スポーツライターの増田明美さんが受賞。前年のシドニー五輪女子マラソンの解説をはじめ、綿密な取材に基づく表現力豊かなマラソン中継が、視聴者やスポーツ放送関係者に高く評価されての結果であった。
また、増田さんは、バルセロナ五輪女子マラソン4位の山下佐知子さん(第一生命陸上部監督)と共に、この年から日本陸上競技連盟の理事にも就任。日本陸連の理事に女性2人が登用されたのは初めてのことで、陸連によると「女性アスリートが目覚しい活躍を収める中で、国際化に対応した組織改革」が選出理由とのこと。
<5月>
RUNNETからのサービスの一つとして、レースの途中通過タイムやゴールタイムを、携帯電話、インターネットアドレスに瞬時に配信する「GT Mails(ジーティメイルズ)」が始まる。フィニッシュエリアで待っている応援の人や、会場に来られなかった家族や友人に、自動的に参加者のタイムを知らせることができる画期的システム。
【海外】日韓共通開催となったサッカーのワールドカップがあったこの年、韓国では、サッカーに優るとも劣らない勢いで、ランニングが急速な盛り上がりを見せた。ランニング専門誌『RUNNERS KOERA』の発刊、全国アマチュアマラソン協会の発足、マラソンに関するインターネット機関も多数できるなど、爆発的なブームが生まれた背景には、1992年、黄永祚(ファンヨンジョ)のバルセロナ五輪制覇から、1996年の李鳳柱(イボンジュ)のアトランタ五輪銀メダル獲得がある。2大会連続のオリンピックマラソンの活躍で、韓国内のマラソンに対する熱気は高潮、マスターズの大会が年々開かれるようになり、本格的に一般市民が大会に参加できるようになった。健康増進がランニングの目的であると共に、試練を克服できる精神力を養う、という面が強調されるのもお国柄ゆえか。 |
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<6月>
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「e- Athletes(イーアスリーツ)」がスタート。プロフェッショナルスタッフがあらゆるレベルのランナーのパフォーマンス向上をサポートする、クラブチームの形態をとった新しいタイプのランニングスクール。電子メールなどを駆使して会員を個別指導するので、遠隔地のランナーでもメンバーになることができるという特徴をもつ。代表兼コーチは、有吉正博氏(東京学芸大学教授)のもとでトレーニング法と指導法を学び、自身の実業団選手生活や大学陸上部監督の経験もある鈴木彰氏。
<8月>
カナダのエドモントンで開催された世界陸上選手権。女子マラソンでの優勝は、スタミナを身につけたルーマニアのリディア・シモン2時間26分1秒。日本の土佐礼子はシモンと5秒差の2時間26分6秒で2位に入り、銀メダルを獲得した。
<9月>
「第1回歴史街道・丹後100kmウルトラマラソン」開催。日本海に面したリアス式海岸の丹後半島を舞台に、変化に富んだタフな、だが美しいコースと評判を呼ぶ。
高橋尚子、ベルリンマラソンで2時間19分46秒の女子マラソン世界最高記録を達成。すでに国民的英雄ともいえる高橋の大きな快挙に、前年のシドニー同様、テレビ中継の瞬間視聴率は50%を超え、このニュースに日本中が沸いた。 |
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<11月>
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<12月>
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<4月>
ロンドンマラソン開催。女子は初マラソンのポーラ・ラドクリフ(イギリス)が2時間18分56秒の当時世界歴代2位、初マラソンの女子世界最高記録で優勝。鮮烈なデビューを飾った。
男子は、2時間5分42秒の世界記録保持者ハリド・ハヌーチが、再び5分台を出す2時間5分38秒。2位、ケニアのポール・テルガトも史上2人目の5分台となる2時間5分48秒をマークした。また、トラックの王者ハイレ・ゲブレシラシエは、初マラソン世界最高記録2時間6分35秒で3位。驚異的な記録が続いた同大会、フィニッシュゾーンが例年以上に熱狂的歓声で沸いたのはいうまでもない。
<7月>
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<11月>
22日、福知山マラソンで58歳と59歳の男性、同日の名古屋シティマラソンで58歳の男性がそれぞれ心臓突然死で死亡する事故が重なった。くしくも前日の21日にはカナダ大使館で起こった高円宮殿下(47歳)のスカッシュ練習中の心臓突然死があり、相次いだこれらのニュースはスポーツ愛好家のみならず一般の人々にも大変衝撃的なものとして受け止められた。
いずれの事例でも配置されていた救命士、参加者の医師、看護師による心肺蘇生法がなされたが、残念ながら命を救えなかったこれらの出来事から、全国のランニング大会主催者の間では、いざというときの蘇生法を単発で行うだけでなく、救命リレー(Chain of Survival)の連携はより確実にスムーズに行われるか、高度なケアの技術を習得し十分なトレーニングをしているか、応急手当を実施した場合の法律関係が明確であるか、など、緊急ケアの内容と体制について改めて見直す動きが生まれた。
<12月>
全日本実業団対抗女子駅伝で、バルセロナ五輪女子マラソン4位の山下佐知子率いる第一生命が、大会記録にあと1秒と迫る2時間14分00秒(6区間、42.195km)で初優勝。 写真 : 区間賞をとった選手が誰もいないのにもかかわらず、強豪の三井住友海上をおさえて優勝した第一生命。絶対的なエースがいないチームの中で、智将・山下佐知子監督のもと、選手一人一人がそれぞれの役割をしっかりこなしたタスキのつなぎのよさが光った |
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第30回ホノルルマラソン開催。記念大会となるこの年は、30,428人のランナーが世界45カ国から集結した。日本からの参加も増え、前年の倍にのぼる17,266人がエントリー。完走者数26,407人、完走率86.7%であった。 |
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<1月>
「特定非営利活動法人 東京夢舞いマラソン実行委員会」設立。市民主導のマラソン大会を都心にという夢を形にするため、この年、市民ランナーたちによる実行委員会(それまでの“準備委員会”)は、NPO申請、法人化と更なる進化を続けた。
26日に行われた大阪国際女子マラソンにおいて、日本人選手3人が21分台という高タイムで上位を独占。優勝は、日本歴代2位となる2時間21分18秒をマークした野口みずき。2位には、このレースに復活をかけた千葉真子が2時間21分45秒で続き、坂本直子が、初マラソン日本最高の2時間21分51秒で3位に入った。
国内無敵の高橋尚子の存在を脅かす選手が、確実に育っていることを印象付けた「大阪」だった。
マラソン3回目の挑戦となるポーラ・ラドクリフは、ロンドンマラソンで自らの世界最高記録を1分53秒縮め、2時間15分25秒の世界新記録で優勝。2位のキャサリン・ヌデレバに4分30秒もの大差をつけて、大会の連覇と初マラソンから負けなしの3連勝を達成した。 |
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<5月>
江戸開府400年記念大会と銘打って、都心を駆け抜ける市民参加の10kmロードレース大会「東京シティロードレース2003」が開催された。前年の2002年に誕生したこの大会は、日比谷公園をスタート・国立競技場をゴールとする東京国際マラソンのラスト10kmと同じコース(日本陸連公認)。
<8月>
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なお、世界陸上選手権男子200mでは末續慎吾が3位となり、日本人として初めて短距離でメダルを獲得。偉業ともいうべき快挙に、陸上短距離ファンのみならず、日本中のスポーツファンの喝采を浴びた。従来の中心軸走法に対して、日本古来のニ軸走法となる末續選手の走り方「なんば走り」は、銅メダルの原動力と話題を集めた。 |
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<9月>
世界屈指の高速コース・ベルリンマラソンで、ケニアのポール・テルガトが2時間4分55秒の世界最高記録をマーク。ペースメーカーを務めたサミー・コリルも、テルガトの1秒後にゴールし、2人のランナーが2時間5分の壁を突破した。
女子は、日本の橋本康子が2時間26分32秒で優勝。2000年の松尾和美、2001・2002年の高橋尚子に続き、日本人女子がこの大会4連勝となった。
<11月>
東京国際女子マラソン開催。アテネ五輪の代表権獲得をかけて、3年8カ月ぶりに高橋尚子が国内のマラソンに出場すると注目を集めたが、圧勝するかに思われた高橋は終盤になってまさかの失速。優勝をエチオピアのアレム(2時間24分47秒)に持っていかれ、この大波乱で女子マラソンの代表選考は混戦となった。
また、同大会の25回を記念して、男子は2時間30分以上3時間15分以内、女子は3時間30分以内のタイムのランナーを対象に市民マラソンの部が行われたが、高温強風の悪コンディションに給水不足も重なり、男子の完走率は40.4%という低い数字に終わった。
<12月>
福岡国際マラソンはこの年、国内で初めてペースメーカーの存在を公表してレースを開催。優勝・国近友昭の2時間7分52秒に続いて、諏訪利成と高岡寿成も2時間7分台となり、日本人選手同士によるハイレベルな戦いとなった。
第31回ホノルルマラソンで、男女を通じて初めて日本人がトップのゴールテープを切った。快挙を成し遂げたのは、前年のこの大会で女子総合4位(日本人女子1位)となった早川英里。優勝タイムは2時間31分57秒。これまで延べ24万人以上の日本人が参加したホノルルの歴史に、新たなページが刻まれた。 |
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<7月>
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<8月>
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<9月>
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<10月>
前年、オランダのウーデンで開かれたことに続き、「24時間走世界選手権大会」の第2回大会がチェコ共和国第2の都市ブルノで開催。日本からは厳格な選考基準をクリアした男子6人、女子4人が出場し、2002年スパルタスロンの優勝者でもある関家良一さんと、女子の24時間ロードでアジア記録を持つ加村雅柄さんが見事男女アベック優勝を果たした。
<11月>
マラソン100撰で上位にもあげられる人気大会の福知山マラソンは、14回目を迎えたこの年、自然災害により中止の決定。京都府北部に甚大な被害をもたらした台風23号の水害から復旧の目途が立たず、走路においてランナーの安全が確保できないということが主な理由だった。
<1月>
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ここ数年のマラソン大会における女性ランナーの増加は、女性の健康志向やダイエットブームがベースにあるとはいえ、さまざまな特徴を持つ個性的な大会が増えていることもその大きな一因といえる。実際、女子参加の多い大会とは、フル・ハーフ・10Kといったメイン種目の如何に関わらず、ヨロンマラソンや荒川市民、山中湖、青島太平洋、NAHAなど制限時間が緩い、もしくは「ない」大会が目立ち、そのほか多少タフであっても風光明媚なコース設定や、気の利いた参加賞、飲食物が豊富といったサービスの充実などが見受けられる。また、5月の洞爺湖や8月の北海道のように、国際女子マラソンから日程が離れているという理由で女性ランナーの完走率が高い大会も。 |
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<6月>
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<7月>
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<8月>
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フィンランド・ヘルシンキで世界陸上選手権開催。尾方剛が男子マラソン銅メダルを獲得(2時間11分16秒)し、4位に高岡寿成(2時間11分53秒)が入った。 |
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<9月>
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<10月>
「2007年、東京で大規模なシティマラソン」――― 20日、石原慎太郎都知事と日本陸連会長の河野洋平衆院議長は、2007年に大会名「東京マラソン(仮称)」を開催することに関して基本合意を交わした。翌21日の発表によると、「観光名所を巡り、かつ記録を狙える魅力あるコース」設定に、トップアスリートを含む男女3万人規模の参加を想定する、というもの。石原都知事は11月のニューヨークシティマラソンへも視察に訪米し、レース終了後の6日午後(日本時間7日未明)、現地で「素晴らしい祭りだ。東京でもできると思う」と感想を述べた。