※本記事は『ランナーズ2026年1月号』掲載内容になります。
いかにして当社は立ち上がり、日本の市民ランニング界と歩みを共にしてきたのか?
当社創業者で前代表取締役社長の橋本治朗氏に現代表取締役社長の黒崎悠がインタビュー。
1990年代までに築いた「礎」が現在につながっている。
|
橋本 治朗 はしもと・じろう
1947年熊本県出身。法政大学社会学部社会学科を卒業後、写真事務所「MAY」設立。1975年12月、夫人の下条由紀子氏(初代ランナーズ編集長)と株式会社ランナーズを設立し、代表取締役社長に就任。翌年、ランニング専門誌「ランナーズ」を創刊。現在は2022年に設立した公益財団法人ランナーズ財団会長。ランニング界に貢献した個人や団体を表彰する「ランナーズ賞」等を主催している。
1975年のボストンが原点
エリザベス女王が国賓として来日、田部井淳子さんが女性として世界で初めてエベレストに登頂した1975年、カメラマンの橋本治朗と編集者の下条由紀子(夫婦)によって株式会社ランナーズが創業された。キッカケは仲間とともに楽しんでいた皇居ランだ。
――本誌はこの1月号が創刊50周年の記念号になります。まず、1975年当時、どのような環境の中で雑誌作りが始まったか、改めてお聞かせいただけますか。
橋本 今になれば、めぐりあわせというか、運命めいたようにも思えます。私はフリーのカメラマン、妻の下条は編集プロダクションに勤めていて、やがてフリーになります。同い年の二十代半ばでした。紀尾井町の文藝春秋社に出入りしていた頃、下条が勤めていた会社も近くだった。彼女は高校時代にテニスをやっていましたが、私は特にスポーツに関心があったわけではありませんでした。
そんな中、下条の会社に皇居を走っている人がいて、社内で宣言タイムレースをやることになった。自己申告のハンディ競走で、初めて走る彼女が最初にスタートし、最後まで抜かれなかった。それで調子に乗って走り出しました。たまたま、会社の下にあったスーパーの店長が千代田走友会の会長で「皆で青梅マラソンに出るからあなたも走れ」と。青梅マラソン30㎞の部に初めて女性が出場した74年。女性は下条を入れて4人だけ、そんな時代です。
皇居を走っているのは国会議員など多種多彩な人がいました。そのことを題材にしたグラビア記事を制作して、文藝春秋のデスクに話すと、誌面に取り上げてくれた。その年、山田敬蔵さん※1が市民ランナーを連れてボストンマラソンに行くという新聞記事を見つけると、同じデスクから「皇居の企画の評判が良かったから行って来ないか」と言われました。1ドル300円の時代には夢みたいな話で、予算内でライターを連れて行くことを了承してもらい、それが我々の新婚旅行でした。
そのボストンが衝撃的だった。女性の出場が認められて4年目、前の年にゴーマン美智子さん※2がデビューし、地元のビル・ロジャース※3が優勝したと大騒ぎ。ああいうマラソンは国内で見たことがなかった。
一般のランナーがたくさん走っていて、沿道の人波(応援者)に押されてコースが蛇行するんです。2人とも興奮し、下条が「雑誌を出そう」と言い始めた。千代田走友会にコネリーさんというアメリカ人がいて、こんなのがあると見せてくれたのが『ランナーズワールド』でした。アメリカでジョギングブームが始まっていることも分かり、下条はますますやる気になった。「貴方は写真を撮り自分が書いてデザインする、あとは印刷だけ」と。そんな簡単なものとは思わなかったけど、無理だとも思わなかったんです。
創刊号の裏表紙はオニツカ株式会社の陸上スパイクだった
|
定期購読システムで資金繰り
当時20代の夫婦に潤沢な雑誌製作費はない。読者から前金を得る「定期購読」のシステムによって製作費をまかなった。当初は書店で流通させることができず、創刊号は青梅マラソン会場での手売りである。
――雑誌を作ると言っても色々な準備が必要です。スタッフや資金はどうされたんですか。
橋本 仲間からランニング専門誌に関するアンケートをとりました。止められるかと思ったけど、逆に面白そうだと背中を押された。親兄弟も資金を貸してくれましたが、かき集めて200万が精いっぱい。スタッフは我々2人でした。下条の上司だった方や報知新聞の記者さんたちからアドバイスをもらい、創刊号は宇佐美彰朗さん※4に巻頭コラムを書いていただいた。ゴーマン美智子さんの手記、市民ランナーから集めたエピソード、各地走友会の紹介、ランニング教室……紹介したいことはたくさんあっても製作費がない。
何よりの問題は販路で、書店は取り扱ってくれない。創刊号は青梅マラソンのゴール地点に机を出して売らせてもらいました。中綴じ32 ページの薄い雑誌だったから、パンフレットだと思って持って行く人がいたんですね。それなりに物珍しさはあったのでしょう。
印刷費をまかなうためにも前金をいただく定期購読を主体にしました。そこで、予想外だったのが発送作業。年10回発行で、5000部印刷したのはいいけれど、事務所に借りたアパートはエレベーターなしの5階。届いた雑誌を運び上げ、名刺サイズの謄写版で宛名を刷り、一冊ずつ袋詰めし、郵便番号順に並べ、階下まで運び……契約更改のお知らせを同封したり、読者名簿を管理したり、雑誌を作る以上に手間がかかりました。これを仲間が手伝ってくれた。終わったらビールを飲むくらいのボランティアで。我々も無給でしたから。
――どのようにして軌道に乗せていったのでしょうか?
橋本 私が初めて給料を得たのは4年目です。それまでフリーカメラマンと二足の草鞋で、下条は専従でした。カメラマンやライターとして出張に行くと、ついでに他の雑誌の取材もしてくるという流れです。
すると、若い女性編集長ということが珍しがられるようになって、新聞や女性誌など毎週のように取材依頼があった。
広告は創刊準備中に自分たちでお願いに行きました。創刊号の裏表紙はオニツカ、いまのアシックスさんです。下条がダメもとでお願いに行ったら「ああ、いいですよ」と。当初から雑誌の顧問に運動生理学で大御所の先生方がついてくれたのも、新しい試みを応援しようという空気があったから。女性、健康、余暇、その三つの風が絡み合っていたんじゃないかな。
※1…1952年ヘルシンキオリンピック代表、1953年ボストンマラソンで優勝。その後も長年走り続け、1990年にランナーズ賞を受賞
※2…日本出身の女子マラソン選手。米国人の夫と結婚後に走り始め、ボストンマラソン、ニューヨーク・シティマラソンで優勝
※3…アメリカのマラソン選手。ボストンマラソンで4度優勝し、ニューヨーク・シティマラソンを4連覇。77年に福岡国際マラソン優勝
※4…メキシコ、ミュンヘン、モントリオールと3大会連続でオリンピックのマラソンに出場
※こちらから記事検索ができます。

ランナーズ9月号 7月22日発売!
脳のリミッターをはずして速くなる!
「僕は脳のリミッターをはずすことができるから、力を出し切れる」。1月のニューイヤー駅伝で22人を抜いたプロランナー・吉田響選手はそう語ります。「失速の原因は脳がブレーキをかけること」という理論を度々取り上げてきた本誌は今回、吉田響選手に「吉田流・脳のリミッターのはずし方」を徹底インタビュー。ランナーの実体験から、ランナーが脳のリミッターをはずして持てる力を最大限に発揮する方法を学びます。
ジョグジョグが聞く、教えて! あなたのMy Run, My Peace
純烈・後上翔太
50周年記念キャラクター・ジョグジョグが、走ることの魅力を探る連載第7回。今回は、歌謡コーラスグループ・純烈のメンバーとして、全国各地の温浴施設でも数多くのステージに立ってきた後上翔太さん(39歳)。「お風呂とマラソンの相性は最高。銭湯×ランニングの親善大使になりたい」と語る後上さんのランニングライフを聞きました。
夏を制する黄金タイムは?
朝ラン vs 夜ラン
これからの時期、日差しの強い昼間走ることは、とてもではないが難しい‥‥‥。では、いつ走るかというと、候補となるのは必然的に「朝」と「夜」の2つ。本企画では、朝ラン派と夜ラン派が実践談を通してそれぞれの利点を紹介。さらに、練習効果を倍増させる方法や、「朝起きてすぐに走り出しても大丈夫?」「夜にスピードを上げて走ると、その後なかなか眠れない」などのお悩みに専門家が答えます。
本誌購入は年会費7,800円「ランナーズ+メンバーズ」がお勧め!
「ランナーズ+メンバーズ」は毎月最新号が自宅に届く(定期購読)だけでなく、「デジタルで最新号&2011年1月号以降が読み放題」「TATTAサタデーランが年間走り放題」「会員限定動画&コラム閲覧可」のサブスクリプションサービス! 年会費7,800円の超お得なプランです。
※こちらから記事検索ができます。