※本記事は『ランナーズ2025年3月号』掲載内容になります。
30kmの壁は脳によって引き起こされている(写真/軍記ひろし)
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内科医でサブスリーランナーの北原拓也先生がYahoo!ニュースで『30kmの壁』のメカニズムをまとめた記事を発表した。
フルマラソンには「30kmの壁」という言葉があります。その正体は、30km前後でエネルギーが枯渇するためというのが定説でした。この現象は英語で「Hit the wall (壁にぶつかる)」と表現され、これはフルマラソンに限らず、広く持久系競技の終盤で、疲労感やエネルギー不足によってペースを保てなくなることをいいます。そして、この壁の正体について、以前からさまざまな研究がなされてきました。文献によると壁の正体は、エネルギー不足だけではありません。そして、近年はエネルギー不足よりも違う説が有力となってきています。そこで、原因といわれる説と、一つの研究結果を見てみましょう。
フルマラソンにおける「30kmの壁」には3つの説があります。
①エネルギー枯渇・老廃物蓄積説(昔から一般的に言われている説)
心肺や筋肉の必要なエネルギーが枯渇したり、代謝・排泄させるべき老廃物が蓄積してしまい、疲労が発生するのが原因とした説です。主に前者は糖分やグリコーゲンで、後者は乳酸となります。
②神経筋疲労説
長時間の運動の結果、神経からの電気刺激に対する筋肉の反応の低下が起こり、脚が動かなくなる説です。筋肉の腫れや硬直、筋線維の断裂なども原因となります。
③中枢調節モデル説(今最も有力な説)
筋肉をはじめとした全身の臓器からの信号を脳が受け、身体を守るために脳が運動を調節しているという説です。水分やエネルギーの不足、ストレスや疲労が原因で脳がブレーキをかけるのです。
壁の正体はエネルギー枯渇・老廃物蓄積説が原因と以前は言われていました。ですが、実際に血糖値をモニタリングしながらマラソンやウルトラマラソンを走った研究では、ほとんど低血糖は起きていませんでした※。
※文献1・・・・・・フルマラソンで12人のIⅠ型糖尿病のランナーを調べると、70mg/dl未満の低血糖は起きていなかった。
文献2……………100kmウルトラで2人中1人が80km過ぎに40mg/dlの低血糖が起きていた。
文献3・・・・・・160kmウルトラで7人中1人が62mg/dlの軽い低血糖が起きた。
また、神経筋疲労説による失速は確かに存在します。特に速いランナーが過酷なコースに挑んだ時に、終盤脚に力が入らなくなったり、脚つりで失速するランナーはこれにあたると思われます。
しかし、初心者ランナーや、いつも30kmで失速するランナーにそびえ立つ「30kmの壁」とは少し性質が違うようです。それよりは、中枢調節モデル説のほうが多くのランナーに当てはまりそうです。
というのも、30kmの壁の対策としてカフェインやミントを摂取したり、スポーツドリンクや甘いものを口に含むだけでも有効とされています。これは脳が感じている疲労やエネルギー不足を、脳を刺激したりエネルギーを補給したと誤認させる行為です。それだけで30kmの壁が遠のくのであれば、中枢調節モデル説が有力というわけです。
実際にフルマラソンを走って、走行速度やつらさの感覚、エネルギー源(呼吸商で測定)や脳波を調べた記録をみてみましょう。
出典は2024年8月に公開された文献です (Palacin F et al. Int J Environ Res Public Health. 2024)。被検者は27歳の男性で走歴は5年、週間走行距離は50~80kmで、フルマラソンのベストタイムは3時間10分です。そのランナーにエアロモニタや脳波計を装着して、1周5kmの公園を42.195km走ってもらいました。
フルマラソン走行時のスピードと脳波の変化の計測グラフデータ
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結果、このランナーは、自己ベストに近い3時間12分2秒で完走しましたが、やはり30km地点で壁に遭遇したようです。上のグラフを見ると25km付近から少しずつ速度が低下し、30km以降はそれまでのキロ4分20秒から、キロ5分~キロ5分30秒まで失速しています。このグラフには示していませんが、呼吸の変容も30km以降見られました。酸素濃度を保つために過換気になると脳の血管が収縮し、マラソン後半の脳へ影響を及ぼしている可能性もあると、のちの本研究で議論しています (Palacin F et al. Sports (Basel). 2024)。
そして、脳波を見てみましょう。走り始めると脳からアルファ波が増加して身体の緊張やストレスを緩和してくれるのです。しかし、実は壁の出現よりもはるか手前の13km過ぎにそのアルファ波が低下してきます。それとともに自覚運動強度(キツさ)が上昇しているのが分かります。
つまり、このランナーの場合、フルマラソンの序盤3分の1は脳がアルファ波を多くして苦痛を緩和して守ってくれています。3分の1を過ぎるとアルファ波を低下させ、その結果苦痛を感じさせて休むよう促しているのです。それでも休まないと、脳が脚を動かないようにする。それが30kmの壁の正体です。30kmでは呼吸商が低下(糖質が枯渇)して、脂質代謝の割合が増加してきているのですが、それより前から脳は危険信号を発信しているのです。
30kmの壁は、一般的にはエネルギーの枯渇と言われています。ただ、それは一つの要因にすぎません。例えばこの研究のランナーは中間地点よりも前から脳がブレーキをかけ、さらにはエネルギーの枯渇や呼吸の変容が追い打ちして壁が出現しています。
30kmの壁は糖の枯渇と信じてたくさんの糖分を補給しても、脂肪をうまく使えるようになっていても、この壁は出現してしまう可能性があります。なぜならそれは、多種多様な変化に対して脳が発信する身体の危険信号だからです。
それでは、どうすれば30kmの壁を乗り越えられるのでしょうか。私が考える方法の一つは「レース1カ月前に30km、できればフルマラソンを走ること」です。
30km走の目的は、エネルギーを枯渇させるとか脚の持久力をつけるなどと言われていました。しかし、1度の練習での身体への効果は1ヵ月も持続しません。持続するとすれば「脳の記憶」です。「エネルギーが減ってきても、呼吸や心拍がキツくなっても無事だった」という経験を脳に刻み込めば、レース中にかかるブレーキを弱く、タイミングを遅くできるのです。
ある程度走り込んでいるランナーの場合は30kmよりも長く、フルマラソンを走るほうが壁に対する効果は高いはずです。また、「1カ月前フルマラソン」を繰り返すと、さらにブレーキが緩んでくる可能性もあります。自分の感覚では、1回のフルマラソンの効果は1カ月ほどしか持ちませんが、フルマラソンを繰り返して走って強く緩んだ脳のブレーキは、は、2~3ヵ月ほど効果が持続する印象です。
もし30kmを走るのであれば、脳が「30kmまでで限界!」と認識してしまうような全力を出し切るのではなく、「30kmよりもっと長い距離走れるじゃん」と脳に記憶を刻み込むように、余裕を持って終わることが大事です。フルマラソンを走する場合も、本来のレースペースよりは少しだけ遅く走り、途中でキツくなっても歩いたりせずに走り切り、「フルマラソン走れるじゃん」と脳に記憶させるほうが次につながります。また、フルマラソンを最後まで走り切れる自信がない時は、30kmを何度か行うのも有効です。
1カ月前にロング走を行うのは、本番の恐怖心を和らげるようなものです。ロング走のやり方は個人や走力によっても異なると思いますが、フルマラソンに対してポジティブな気持ちを持ったまま終えることが大切だと思います。
私も初めてのフルマラソンから100回以上も30kmの壁に阻まれて、初めてその壁を超えたのは初フルから10年以上も経ってからでした。同じように何度も30kmの壁に阻まれて、フルマラソンを走るのをあきらめそうになったランナーもいるかもしれません。そこで今一度、「30kmの壁の正体は脳のブレーキ」と考えて作戦を立ててみてください。
●身体に余裕があるうちから、脳はアルファ波を低下させて低下させて身体を止めようとする。
●1カ月前に余裕を持った30kmか、できればフルマラソンを走ることで脳を調教する。
●毎月1回ずつフルを走れば、脳によるブレーキがさらに弱まる。
●終盤は補食、カフェインを活用。つらくて水分や補食を飲み込めなくても、少し口に入れるだけでも効果あり
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森山記念病院勤務。内科専門医・肝臓専門医で、ビアソムリエや城郭検定、温泉名人の資格も持つ。フルマラソンの自己ベストは2時間50分22秒(2019湘南国際)。
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