走るだけじゃもったいない。
マラソン大会開催地には、魅力的な観光スポットがたくさん。
今回は「おおがきマラソン」の開催地、岐阜県大垣市を紹介します。
ぜひエントリーして「水都大垣」を散策してみてください!
(写真/大垣市、大垣市教育委員会、大垣観光協会 )
大垣は2つの城を擁する街。
ひとつは大垣市のシンボルである、関ケ原の戦いで西軍・石田三成の本拠地となった「大垣城」。
もうひとつは、後の天下人、豊臣秀吉となる木下藤吉郎が築城し、出世の足掛かりとした「墨俣一夜城」。
どちらも戦国時代のメインストリームを語るのに欠かせない地であり、歴史ロマンを感じられるスポットです。
全国的にも珍しい4層の天守を持ち、「城下町・大垣」のシンボルとして市民に親しまれている大垣城。関ケ原の戦いでは西軍・石田三成の本拠地にもなり、本戦部隊が関ケ原に移動した後も壮絶な攻防戦が繰り広げられました。
昭和20年、戦災で惜しくも焼失したものの、昭和34年(1959年)に再建されています。 かつての大垣城は、水堀を幾重にもめぐらせた堅城で、敷地にして現在の3倍以上、櫓の数は10を数える大変規模の大きな要塞だったと言われています。平成29年には「続日本100名城」に選出されました。 |
木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が「天下人」への第一歩を歩んだと言われているのが、永禄9年(1566年)一夜にして作り上げたという史伝のある墨俣一夜城。当時は砦のような姿の「城」でしたが、平成3年、城郭天守の体裁を整えた歴史資料館として再建されました。
場内には秀吉の歩んだ道を中心に貴重な資料が展示され、太閤・秀吉について詳しく学べる貴重な空間となっています。 |
戸田藩の城下町であった大垣。慶長年間(1596-1615年)から整備が始まり水運が発達したほか、豊富な地下水の恵みにより「水の都」と呼ばれてきました。「掘り抜き井戸発祥の地」として、今でも町のあちこちに自噴の湧水があるのが特徴です。
以前は各家庭で井戸槽(地下水を受ける、三槽等になっている水槽)を持ち、地下水を活用して生活していたという大垣の人々。その面影が感じられるスポットが、街のあちこちに点在しています。
揖斐川の支流、水門川の遊歩道にあるのが、松尾芭蕉の像。
この地は、芭蕉があの「奥の細道」の旅を終え、伊勢に向かって船出をした場所です。 すぐそばにあるのが、元禄前後(1688〜1704)に創建されたと言われる高さ8mの「住吉燈台」。 湊の標識であると共に、夜間の目印として造られたというその姿が、西美濃の中心に位置し、古来東西交通の要所として、様々な歴史や文化の舞台となった大垣の名残を感じさせています。JR大垣駅から、風情ある川岸の散歩を楽しみながら歩いて行けるスポット。 |
市内のあちこちに、湧き水の井戸を目にすることのできる大垣。地元の人が水を汲むなど、今でも生活に根付いている様子が伺えることも。大垣八幡神社の境内、加賀野八幡神社井戸、春日神社の「春日の宮湧き出ずる名水」、金蝶園総本家の本店横などをチェックしてみて!
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